2025/07/28 | NOTES, TRAVEL to HOTELS
(左)地獄に囲まれるように建つ「界 雲仙」。
(右)ロビーの天井から下がるライトの模様は「和華蘭」(わからん)と呼ばれ、日本・中国・オランダを象徴する模様がデザイン、長崎の歴史を想い起させる。
ここそこに黙々と力強く蒸気と熱気の湯けむりを吐く雲仙の地獄、
その30余りという地獄に挟まれるように「界 雲仙」がありました。
雲仙の古湯と新湯の間の白い土(温泉余土)におおわれた一帯が雲仙地獄地帯。
硫黄の香りが立ち込めているし、地の底から吹き出す蒸気の光景は、
「地獄そのもの」の感じありでした。
キリシタン殉教の舞台になった場所として知られ、殉教碑も。
「界 雲仙」は部屋に温泉が付いているのではなく、「温泉に部屋が付いている」という考え方。それほど温泉が主役の旅館です。
(左)滔々と湧く雲仙温泉は大浴場。温泉が湯治に利用されるようになったのは1653年、加藤善右衛門が古湯に「延暦湯」を開いたのが始まり。
(右)長崎の活版印刷の歴史は古く、日本で初めてのこと。かつて4 人の天正遣欧少年使節団(てんしょうけんおうしょうねんしせつだん)がヨーロッパから島原半島に運び込んだという文化的遺産。この活版印刷機は宿が譲渡されたもので、日本にはもうこの1台しか残っていないとか。
2025年7月26日
Photo: Kyoko Sekine